さらに今年3月に開かれた「オテル・ドゥ・ミクニ」の33周年式典では、「大会期間中はグループを休業して、全身全霊で貢献する。万全の態勢で五輪に臨む」と宣言。あたかも自分が総料理長に決まったかのような発言にも聞こえる。
◆努力の人とセンスの人
北海道出身の三國氏は、15歳で札幌グランドホテルで修業の後、見習いとして帝国ホテルの厨房へ。すぐに料理人としてのセンスが評価され、弱冠20歳で駐スイス日本大使館の料理長に就任した。
4年間の大使館勤務、フランスの三つ星レストランでの修業を経て帰国後はホテルに戻らず、31歳の時に東京・四谷に「オテル・ドゥ・ミクニ」を開いた。
帝国ホテル一筋の田中氏とは対照的な経歴だが、2人には帝国ホテルの元総料理長で、1964年の東京五輪で料理長を務めたフレンチの巨匠・村上信夫氏(故人)の愛弟子という共通点がある。三國氏を駐スイス日本大使館の料理長に推薦したのも、その村上氏だった。
村上氏は自伝的著書『帝国ホテル厨房物語』(日経ビジネス人文庫)のなかで2人について触れている。
田中氏については、《まさに料理人になるべくして生まれてきたような男である》《人一倍の努力でのし上がってきた料理人だ》と評し、《焦らず、力まず、より高い山を目指して調理場を引っ張ってほしい》と書いている。
いわば帝国ホテルの正統な「後継者」としての期待が窺える文章だ。かたや三國氏は「忘れがたい弟子」だったという。