「中1の頃は学校環境に慣れなかった愛子さまですが、2年生になると新しい友達ができて元気になり、学校行事の際、午前中と午後で髪の結び方を変えるほどおしゃれにも気を配られるようになりました。激やせと報じられたのも、思春期の女子中高生がお友達などから刺激を受けて、“お洋服が似合うようにやせたい”と思ってダイエットされたからでしょう。宮内庁周辺からは『過度の心配は無用ではないか』との声が聞かれました」(前出・皇室記者)
片田さんは、この時期が雅子さまの「母子密着」を解き放つポイントになったと指摘する。
「愛子さまがやせられた際、何度説得しても応じなかったので、『親がいくら努力しても、子供は親の思い通りにはならない』とあきらめ、『子育ては完璧にはいかない』という現実を受け入れようとされたのではないでしょうか。愛子さまの激やせこそが、“子育て完璧主義”の呪縛を解き放ち、産後からずっと続いたうつ状態から雅子さまが抜け出すきっかけになったのだと思います」
2017年4月、愛子さまは学習院女子高等科に進学された。愛子さまの自立が進むとともに、雅子さまの表情は目に見えて明るくなられた。
「中学までは人前に姿を見せても笑顔を時折浮かべる程度だった愛子さまが、高校生になると自分から笑顔を浮かべて、お手振りまでされるようになりました。高校生になって一時は激減していた体重が戻ったことも安心材料です。そんな成長を最も喜んだのは、幼い頃から愛子さまを見守り続けてきた雅子さまでしょう。親離れ、子離れを果たすことで気持ちが和らいだのか、雅子さまは徐々に公務に復帰されるようになりました」(前出・皇室記者)
昨年、雅子さまは公務で宮城や京都など6府県を皇太子さまとともに訪問し、宮内庁が適応障害を発表した2004年以降最多の公務を果たされた。
今年も5月に全国赤十字大会に15年ぶりにご出席、9月の国際水協会世界会議の開会式にはサプライズで出席されるなど、精力的に公務に臨まれている。
愛子さまも7月下旬から3週間、英国の名門私立イートン校のサマースクールに参加し、初めて単独で海外を訪問された。かつての“登校拒否”は影をひそめ、たたずまいはますます気品にあふれる。
愛子さまの自立とともに、雅子さまの復調を後押しするのは「御代がわり」であると片田さんが指摘する。
「秋篠宮家に悠仁さまが生まれたことで、雅子さまはお世継ぎの重圧から解放されると同時に、“自分は男子を産めなかった”という劣等感も持たれたのだと思います。ただ、いよいよ御代がわりが来年に迫り、雅子さまは自らが皇后となられることに自身の存在価値を見出されているはずです。抑圧された長いトンネルの先に即位という光が見え、雅子さまを快復させたのでしょう」
闘病開始から15年。愛子さまの成長とともに、止まっていた雅子さまの時間が再び動き始める。
※女性セブン2018年10月18日号