◆死を目の前に突きつけられたことへの怯え
40年以上、私は自分の命を大切に思ったことなどなかった。親とはうまくいかず、実家の家計も裕福なものではなかった。父親はアルコール依存症でDV癖もあり、常々「お前は進学しなくていい」「絵や漫画を描いて生きようなどと甘えるな」と、厳しい言葉ばかり与えられていた。
居場所もなく逃げるように家を出て、就職するも続かず、せっかく結婚したけれど、漫画家としてデビューしたことが仇となったのか離婚した。そんな青春期にやけっぱちな生き方の癖がついたのだと思う。私は目の前にギャラがぶら下がればどんな仕事でも受け、ただがむしゃらに働いた。その心の底にあったのは、「親の気を引きたい」「認められたい」「私をいじめたり嘲笑った旧友たちを見返したい」といった気持ちだった。いつ死んでも構わないと、健康に配慮することもなかった。
そんな私なのに、いざ死を目の前に突きつけられると、追い詰められたウサギのように怯えていた。
「こんなに頑張ったのに、なぜ急に仕事がなくなったのだろう。作家さんによっては絶筆の間際まで編集者がつくのに、なぜ私には誰もいないのだろう」──。ベッドに横になり、天井を見ていると、恨み言ばかりが脳裏に渦巻く日々。
しかし、ホテルスタッフの人たちは本当に優しくしてくれた。それは私が今までの人生で経験したことのないものだった。それが、どんな薬よりも私の心に沁みこんだのかもしれない。2月の厳寒期に移り住んだころは、心も体も冷え切っていたのに、3月の上旬には日中に数時間、庭を見て座っていられるようになった。
そこにやって来たのが3.11の大震災だった。その時もスタッフは命がけで各部屋をまわって宿泊客の安全を確保し、私にも大変よくしてくれた。そんなスタッフの姿を見て、今までの自分の生き方を恥じるようになった。
その時、「横浜から、歩いてでもあなたに会いに行こうと思いました」と言ってくれたのが今の夫だ。私は自然と心を許し、プロポーズを受けることを決めた。その後、休日ごとの親身な訪問にも癒され、すっかり春を迎えた庭を見ていたときである。私の心に劇的な“気づき”が訪れた。それは、「今までの自分が孤独だったのは、自分が人生を愛してこなかったからではないか」というものだ。
「たとえ明日死ななくてはいけないようなことがあっても、いや、そうならなおさら、恨みを心にもって生きるのはイヤだ」──そう思った時、私の頬を暖かな、天からの赦しのような涙がこぼれた。