「父は非上場の中小企業に勤める高卒サラリーマンでした。あんなしがないオヤジにはなりたくないと思ってたし、高卒だから出世できない父も私にそれを望んでいませんでした。教育パパでしたね」
世代は違うが山中さんのお父さんはさしずめ『クレヨンしんちゃん』のヒロシといったところか。アニメ放映が始まった1992年ならばヒロシは妻と子と35年の住宅ローンを抱えたかわいそうなパパ代表だったが、いまでは同じ条件でも勝ち組なのは皮肉な話だ。また団塊世代の親は中卒、高卒が大半だったため教育に無頓着な親がいた反面、逆に山中さんのお父さんのように自身のコンプレックスから教育熱心な親もいた。
「中学時代は最悪でした。土着のヤンキーが暴れて学校は大荒れです。そうでない連中も媚びへつらう悪いヤツばかりでした」
山中さんは中学でいじめにあった。ガリ勉と呼ばれ、殴る蹴るの暴行や大便器に顔を突っ込まされての強制洗顔、校庭に落ちた梅の実や銀杏を口に入れられての顔面パンチなど。
団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアのいじめ被害者が語る地獄はどれも異常だ。1986年に中学生が自殺するほど追い詰められた葬式ごっこ事件しかり、同級生によるいじめで男子中学生が死亡した1993年の山形マット事件しかり。教師すらいじめを見ぬふりどころか加担した事件もあった。
「いじめた連中の大半はのうのうとパパやってます。クソみたいな軽自動車で茶髪の妻や子供とショッピングモールでアホ面下げてはしゃいでます。街のダニです」
山中さんの怨みはそうとうなものだ。しかしそれが山中さんの努力の原動力ともなった。
「意地でもあんな連中を見返してやろうと思いました。中3になると見て見ぬ振りだった教師たちも私の成績のよさに手のひらを返してきました。いじめは続きましたが露骨な暴力は減りました。私は名門公立高校に合格しましたが、合格発表の日も駄菓子屋を改造した地元のゲーセンでリンチに遭いました。そんな土地でした」