昭和から平成初期、地方のマンモス公立中の多くは野蛮極まりなかったと言ったら言い過ぎだろうか。我が千葉県の東葛地域もまさにそれだったが。1980年代に広く行われていた靴下の色や前髪の長さをミリ単位で決める校則に代表される強圧的な規則や手段で生徒を管理する方法、いわゆる管理教育の成れの果てである。これで歪んだ団塊ジュニアも多い。
「高校は自宅から遠くて地元の同級生と会わないで済むし、県下で頭のいい生徒ばかりが集まりますから、本当に幸せでした。学校ってこんなに楽しいものかと実感しました。会話の成り立たない低偏差値の土着民と関わらなくていいんですから」
中学時代の山中さんに対するいじめは、宮崎勤の連続幼女殺人事件がセンセーショナルに報道された影響で、アニメオタクを差別するのが当たり前という世間の風評を学校で再現されたために起きた。しかしそのいじめも進学校、国立大、公務員と地方エリートの道を進んだ山中さんにはもはや無縁のものとなった。高校では好きなアニメを通して友人もたくさんでき、大学ではアニメサークルで楽しんだ。
「結婚は同僚の中では遅かったのですが10歳以上年下の女の子と結婚しました。自分で言うのもなんですが、美少女でした」
独身オタクを謳歌した山中さんだったが、30代半ばで20代前半の女性と結婚した。
「学生時代までが嘘のようにもてましたからね、田舎で公務員パワーは絶大です。そんな中で結婚したのが彼女、アイドルなんか顔負けの美少女ですよ」
当時の写真を見せてもらうとたしかにかわいい。それだけでなく、彼女は上京して声優学校に通っていたという。オタクで話も合った。
「はっきりいって彼女は地元の底辺高校卒でしたが、女性にそんなの気にしません。話が合うことと容姿が優れていることが重要です。オタクで美少女の彼女は理想の女性でした」
一流校から公務員となり、若くて美人の奥さんも貰い、山中さんは団塊ジュニアの勝利者となった。
「中学時代に私をいじめた連中なんてみじめなもの。役所に来訪する連中はどいつも汚い茶髪でみすぼらしい身なり。安っぽい改造車で駐車場のおっさんを怒鳴りつける程度のチンピラです。私は直接住民と接する部署ではないので知ったこっちゃありませんが、哀れなものです。私は努力で連中に勝ちました」