従来の日本の政治=自民党政治は「一強」ではなく「派閥(ムラ)」が牛耳り、常に派閥間で熾烈な党内抗争を繰り広げていた。
政権派閥の首相が政策で失敗したりスキャンダルを起こしたりすれば、すぐに他の派閥が蠢いて政権交代の党内圧力をかけ、カラーが異なる別派閥の「領袖」を首相に担いで国民の批判をかわしながら政権を維持してきた。いわゆる「三角大福中」(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘)や「安竹宮」(安倍晋太郎、竹下登、宮澤喜一)の時代であり、当時は派閥が若手の人材を育成する役割も担っていた。
私は退陣後の竹下元首相から夜の会食で有名料亭に呼ばれたことがある。そこには、首相になる前の小渕恵三さんが同席していて、竹下さんは「小渕を首相にしてやってください。彼が首相にならないと、私は死んでも死にきれません」と頭を下げた。竹下さんにとっては後継者の小渕さんを首相にすることが残された自分の使命であり、それが派閥の論理だったのである。それ以前から私は小渕さんと親しかったので、竹下さんに頼まれなくても応援できることは何でもするつもりだったが、その夜の竹下さんの表情には鬼気迫るものがあった。
つまり、かつての自民党の実態は派閥という名の小政党の集合体であり、党内には派閥間のパワーゲームによるダイナミズムがあったのである。組閣人事には派閥の意向が強く反映され、経済や外交などの政策は派閥によって異なり、官僚やマスコミも別々の派閥・政治家とつながっていた。このため派閥同士は絶えず緊張関係にあり、ライバル派閥の政権に対する追及は野党以上に厳しかった。
ところが、今は派閥が弱体化し、単なるサークルのような緩い集団になってしまった。これは小選挙区制導入の影響が大きい。派閥の役割と政治家のスケールが小さくなって派閥抗争がなくなった代わりに総理総裁や幹事長の権限が強くなり、党内の“自浄作用”が失われたのである。