モンゴル出身力士の会合で、日馬富士が貴ノ岩を殴ったことが明らかになると、貴乃花親方は協会の対応を批判。日馬富士は引退するが、貴乃花親方も理事を解任される。
周囲と相談せずに強硬姿勢を貫いたことから、2018年2月の理事選では貴乃花一門が当時の阿武松親方(元幕内・益荒雄)を担ぎ、貴乃花親方は落選。それ以降も、内閣府に告発状を送るなど過激な行動を続けた。
そんななか、弟子による「最初の暴力事件」が起きた。
2018年3月、貴公俊(後の貴ノ富士)が付け人を殴る事件が発覚。暴力を批判しながら、自らの弟子が暴力沙汰を起こし、貴乃花親方は窮地に陥る。協会からは降格処分を受け、6月には貴乃花一門が消滅。その3か月後、協会を退職した。
在職中には「相撲界を去る力士や行司らのセカンドキャリア支援」「地域密着型の部屋運営」など様々な改革を掲げたが、実を結ぶことはなく、弟子たちも恩を仇で返すような不祥事を繰り返した。どこで歯車が狂ったのか。
相撲部屋の運営は、決して簡単ではない。藤田紀子さんは自身の経験からこう振り返る。
「稽古場と協会のことは親方の仕事ですが、若い衆の教育、私生活の指導はおかみさんと2人での仕事になる。血気盛んな子供たちですから、一時も目を離せない。厳しい稽古を我慢ができても、私生活の部分では我慢できないことも多い。不満を聞き取るのがおかみさんの仕事で、そのためには24時間一緒に生活しないといけない。これは相撲部屋にとっては大きいと思います」
紀子さんは、「貴乃花部屋の立ち上げ時には親方(初代貴ノ花)と離婚していたので、内情は分からない」とするが、示唆に富む言葉だ。
2004年に部屋を継承した時、中野新橋の部屋にはまだ、先代である初代貴ノ花が暮らしており、貴乃花親方は五反田の自宅からの“通い”で弟子を指導した。先代が亡くなった後も、貴乃花親方だけが中野新橋に住み込み、おかみの景子さんは五反田から部屋に通う生活だった。紀子さんが言う。
「貴乃花は先走りすぎて角界を去ることになりましたが、部屋では弟子たちに目が行き届いていなかったのではないでしょうか。そんな言い方しかできません。親方が熱心に相撲道と技術を教えたとしても、その目が届かないところでいろんなことが起きている。みんなヤンチャで、力も有り余っています。誰にでも悪い心はある。親方とおかみさんが二人三脚で、それを出させない環境を作らないといけないんです。その歯車が少し狂えば、いくらでも綻びが出る」