連続試合出場記録を塗り替えた鉄人・衣笠祥雄
次に例年と遜色ない成績を挙げた6選手は以下になる。
衣笠祥雄(1980年・広島)2割9分4厘、31本、85打点
土井正博(1977年・クラウン)2割4分8厘、24本、67打点
中村剛也(2017年・西武)2割1分7厘、27本、79打点
秋山幸二(1996年・ダイエー)3割0分0厘、9本、66打点
大島康徳(1984年・中日)2割8分0厘、30本、87打点
中村紀洋(2007年・中日)2割9分3厘、20本、79打点
衣笠祥雄はこの年、連続試合出場の日本記録を塗り替え、広島のセ・リーグ連覇の原動力となった。37歳の1984年に初のタイトルとなる打点王を獲得し、チームを日本一に導いた。
大鉄高校を中退して近鉄に入団した土井正博は1年目からレギュラーを掴み、チームの顔になる。しかし、1974年オフに太平洋へトレードされる。その1年目に34本で初のホームラン王を獲得。移籍3年目の1977年は24本に終わったが、その前後は25本と26本だった。そして37歳を迎える1980年まで、10年連続20本以上、18年連続2桁本塁打を放った。
中田翔の高校の先輩である中村剛也は16年目の2017年、確実性は欠いたものの、長打力は健在でチーム4年ぶりのAクラス入りに貢献。40歳を迎える今年も、西武でプレーする。
15年目で初のホームラン王に輝いた大島康徳は、16年目も30本塁打をマークした。1988年の日本ハム移籍後も主力として活躍し、44歳になる年まで現役を続けた。
前年低調に終わった中村紀洋はオリックスとの契約交渉がこじれ、16年目は育成選手として中日で再出発。落合博満監督に鍛えられ、日本シリーズMVPを獲得した。その後FAで楽天に移籍して再び成績が低迷するが、横浜DeNAでまたも復活した。
秋山幸二は16年目に12年連続2桁本塁打が途切れたが、自身2度目となる打率3割をマーク。前年2割6分7厘からの上昇だった。この年のホームラン数は前年の21本から9本と減少したが、打点は66と変わらなかった。ホームランの出にくい福岡ドームを本拠地に持つダイエーに移籍して3年目のこの年、バッティングを変えていた。1999年の日本シリーズでは当時史上最年長の37歳でMVPを受賞した。