でもある日、ママが“好きにしていいよ”って言って、ぼくにあまりかまわなくなった。その頃のぼくの中では“好きにしていいよ”は、“見捨てられた”に変換されていた。でも、“自分の好きに生きていいんだよ”って意味なんだってわかってからは、“なんだ、じゃあ迷惑かけちゃっていいや”って思って、逆にママが信用できた。それで“学校には行きたくない”って言ったんです」
いじめだけじゃなく、「学校の教え方もちょっと嫌いだった」と芭旺くんは言う。
「例えば、“先生の言う通りにしていたら東大に行けるよ”って言う。でもそれって、先生が言う通りにしてほしいから、先生が楽だからそう言ってるだけだと思ったんです。“このままではいけない”と言うのと同時に、“言う通りにしなさい”って言うのは、生徒からしたら、その言葉はないほうがやる気が出る」
不登校を決断するまでは当然不安もあったが、自分で選択して学習し、好きな人から学んでいる今、「友達と遊ぶことが少なくなった以外はイイ感じかな」と芭旺くん。
一方の母・弥生さん(46才)はどんな心境だったのか。当時を振り返る。
「小学2年生までは通っていましたが、次第に合わなくなっていました。朝お腹が痛いと言ったりして休むことが多くなって。学校では、先生に“絵を描いてください”と言われても描けなかったり、“作文を書いてください”と言われても書けないことがあったりして、芭旺はいつの間にか問題児になっていましたね。
毎日毎日、学校で否定されて帰ってくる芭旺を見て私は『あなたの行動は否定されているけど、あなたという存在が否定されたわけではないんだよ』ということはずっと言っていました。そうして芭旺のほうから『学校には行きたくない』って言われて…。私は『やっと言えたね』と言いました。だって、子供にとって学校だけが社会じゃありませんから」
芭旺くんが注目を集めるなかで、弥生さんを「警察に通報したぞ」「小学校に行かせないのは虐待だ」などと中傷する人もいる。
「でも、毎日つらい思いをしている子供を無理に学校へ通わせることが本当に子供にとってよいことなのでしょうか。今のやり方で芭旺がワクワク楽しんでいる姿を見ていると、私はこれでよかったんだと思います」(弥生さん)
芭旺くんの姉は、私立幼稚園をお受験して合格、今は高校2年生だ。自由な雰囲気の幼稚園に通い、公立の小学校へ通っていた芭旺くんとは正反対の人生を歩んでいる。お受験ママとして長女の成功例がある母親にしてみれば、ある意味、芭旺くんが不登校児になったことはショックだったはずだが…。