「その間は朝から晩まで専好さんになっていましたね」
よその土地と違い、専好の生きた時代の香りが、まだどこかに残る京都での滞在も、自然とその雰囲気がつかめて有意義だった。ただし、撮影の合間も、狂言の公演などで全国を飛び回り、テレビ出演や取材もこなしたという。
「たとえば、徳島、広島と連日狂言公演をして、東京へ戻って、その夜せりふを覚えて、翌日は京都で早朝ロケという、まるで、修行かと思うような日々でした」
そんな中で、時代劇を撮ることの楽しさを改めて実感したそうだ。
「京都で、映画作りのプロの技を見せていただきました。大道具・小道具・結髪・衣装など、スタッフのすべてとの出会いが、ワクワクするものでした。短い期間でしたが、だからこそプロの技術者がわっと集まって、一気に作った。そして、みんなで作り込める部分が多いというのか、うそをつける楽しさがありました。これは時代劇ならではですね」
何よりもリアルさが求められる現代劇と違って、時代劇では想像を大きく広げられる。その楽しさがあると言う。また、所作などは狂言のそれと通じるものが多いので、すんなり入っていけたとも。
描かれるのは室町から安土桃山に移る時代、黎明期にある華道、千利休(佐藤浩市)による茶の湯、さらには織田信長(中井貴一)や前田利家(佐々木蔵之介)などの武将のエピソードなど、カルチャー映画として見ても学ぶことが多い。
「人間模様も花もじっくり見ていただきたいですねえ」
彼自身、演じている自分のほかにもう1人の自分がいて、自分や共演者が演じる姿を、さらには、描かれた時代そのものを、ふすまを開けてそっとのぞき見したい思いに駆られたという。
撮影/矢口和也
※女性セブン2017年6月8日号