そんなとき阿部は、ベテラン俳優の大滝秀治が芝居で使う酒瓶に入れる水の量を真剣に考える姿を見る。大滝は、「若い人はこういうこと、面白いと感じるかな」と阿部に相談に来たりもした。その真摯さに心打たれた阿部は、この頃から見えないものも意識し始める。たとえば、映ることのない靴下に穴をあけ、役作りをしたりするようになるのだ。
「地味にやっていることが映像になるとちゃんと出てくるということに、恥ずかしいけれど、30歳ぐらいで気づいたんですよ。で、なるほどね、と思ったら仕事が面白くなって、もっとそれを映像で見せたいなという野心が芽生えたんです。オファーをくださる方って、そういう空気が敏感にわかるんです」
さらに阿部に刺激を与えたのは、希代の演出家つかこうへいだった。舞台『熱海殺人事件モンテカルロ・イリュージョン』に出演したことで、モデル阿部寛は役者へと完全に脱皮していくのだ。
「自分を変えたいというモードのときに、ちょうど、つか先生から声をかけていただいた。それより前に先生の芝居を見たときに出てたのが酒井敏也さん。それが狂気の芝居で、テレビと舞台では役者はこんなに変わるんだとびっくりした。先生の芝居をやるのはもの凄い恐怖だったけど、自分の中には飢えがあったし、やるしかないと飛び込んだんです」
いまトップを走り続けているのは、そんな崖っぷちの時代があり、危機感を持ち続けてきたからだ。
建築家、教授、クライマー、侍、軍人、そして刑事……。ありとあらゆる役を演じてきた役者は60代にどう向かっていくのか。