「会長に守ってもろうてたんです」
Mは柳川との関係をそう説明する。きっかけは、1977年頃のことだった。ある日の晩、Mは梅田で宝石店のショーウィンドウをのぞき込んでいた。いきなり男たちに車に押し込められた。必死に抵抗し、阪神高速に入る手前でドアをこじ開けて飛び出した。男たちが何者かは分からずじまい。が、思い当たる節があった。総連のふくろう部隊に違いない。
「ふくろう部隊」とは総連の武闘派組織の通称で、尾行や盗聴など、秘密工作に通じていたとされる。冷戦真っ盛りの1970年代、朝鮮半島の南北で対立する二つの国家は、日本を舞台に熾烈な工作戦を展開していた。
北朝鮮は日本を対南工作の拠点と捉え、次々と工作員を送り込む一方で、韓国の情報機関もカウンター工作を展開した。とりわけ在日が多く住む大阪は、その主戦場といえた。在日社会は韓国系の民団(在日本大韓民国民団)と北朝鮮系の総連(在日本朝鮮人総聯合会)に分かれ、切り崩し工作が繰り広げられていた。
Mは朝鮮大学校出身で、朝鮮学校にも長く勤務したが、総連内部の権力闘争の煽りを受け退職した。これに目をつけたKCIA出身の韓国の領事から「韓国に行ってありのままを見てこないか」と熱心に口説かれた。韓国各地を自らの目で確かめることで、北朝鮮のキャンペーン(「資本主義に搾取された貧しい南朝鮮」)が偽りであることを悟った。
日本に戻りKCIAに協力するようになった。与えられた役目は総連関係者を訪韓させ、転向を促すことである。総連に太いパイプを持つMは、早速、20人を超える関係者を密かに訪韓させた。これが発覚し、総連のふくろう部隊から襲撃されたのではないか、とMは考えた。