小堀宮司は、3つの大学、大学院を出たあと伊勢神宮に奉職。以来、伊勢神宮一筋で、宮司を補佐する禰宜(ねぎ)という要職に登り詰めた。
靖国の前宮司・徳川康久氏が、戊辰戦争の“賊軍”である幕府軍や会津軍の戦死者も合祀に前向きな姿勢を示したことなどが問題視され、「一身上の都合」で辞任したのを受けて、靖国の宮司に就任した。
伊勢神宮時代には、メディアにも何度か登場している。2016年に天皇が生前退位の「お気持ち」を表明された際には、中日新聞(2016年8月9日付)の取材に、〈苦心されてお言葉を選ばれたのだろう。天皇陛下が『伝統の継承者』であり続けるため、現行制度の問題を問い掛けているのでは〉と賛同する姿勢で答えていた。
ところが、教学研究委員会では、まったく別の意見を述べている。
「あのビデオメッセージで譲位を決めたとき、反対する人おったよね(中略)正論なんよ。だけど正論を潰せるだけの準備を陛下はずっとなさってる。それに誰も気がつかなかった。公務というのはそれなんです。実績を陛下は積み上げた。誰も文句を言えない。そしてこの次は、皇太子さまはそれに輪をかけてきますよ。どういうふうになるのか僕も予測できない。少なくとも温かくなることはない。靖国さんに対して」
生前退位に反対だったという本音をにじませ、皇太子に代替わりしても靖国との距離は広がるばかりだと危惧しているように聞こえる。