「おっさんは柳川組を三代目、四代目と継がせ、任侠を通じて日本や韓国の国体を変えたかったんやと思う。暴力で頭角を現したおっさんは、結局、暴力によってしか自己表現する術を知らなかった。日本や韓国を良い国にしていきたいと考えるんやけど、その手段となると、そこにしかたどりつかんわけです」
柳川の限界がここにある、と私は思う。だが、Kは「暴力の縁でもどかしさを抱えて模索し続けたおっさんの姿勢に惚れた」と言う。
柳川は柳川組二代目の谷川康太郎の息子・真澄を非常に可愛がっていた。60歳を前に亡くなった康太郎に代わって親代わりとして盛大な結婚式を挙げさせもした。「全国のヤクザの8割ぐらいが来たんとちゃうか」とKが言うほどの結婚式となり、大阪府警も監視のために大挙した。
「柳川さんからは、常々、『なんかあったら声かけろや』と言われました。実際は恐ろしうて、何か頼んだことはないけど」と真澄は懐かしそうに語る。結婚式のことを聞いた。
「よう覚えてますよ。ステテコ姿で鉛筆をなめなめし、結婚式の席順を考えてくれました。『あいつとあいつは隣にせんほうがいいなぁ』とか言いながら、書いては消しゴムで消しながら。その準備をしているときのことです。柳川さんが『ワシの養子にならんか』と声をかけてきたんです。嬉しかったのですが、あまりに突然で返事もできませんでした…」