「私が座右の銘にしている“人生先発完投”。それを実践できているのは、金田さんに育ててもらったからです。人は誰でも人生という大切なマウンドに立っています。簡単に降板するわけにはいかない。それができるのも、プロ2年目の指宿(いぶすき)キャンプのブルペンで、雲の上の上の金田正一さんから“お前、いいピッチャーになるぞ”という言葉をいただいたから。背中を押されました。金田さんの眼力で私の人生が変わった」
そして、「その金田さんが1年ほど前の記事で“(弔辞を読む時は)風邪引いてこいよ”と書かれていた」と続けた。前述の本誌記事で金田氏は、歌手・春日八郎氏(1991年没)の葬儀で弔辞を読んだ経験を振り返り、〈たまたま風邪を引いていて、途中で鼻をすすったら、有名な作曲家の先生たちが“あの金田が泣いてるぞ”と揃って感動してくれた〉〈兆治がワシの葬式に合わせて、風邪を引いてくれればいいんじゃが〉と結んでいた。村田氏の言葉は、それを受けてのものだ。
「でも、今日は泣かない。泣かずに、“マサカリ投法”を完成できたことへの感謝を伝えます。私も文句をたくさん言いましたが、体の柔軟性、自己管理、睡眠など、節制することを金田さんが自分でやってみせて説明してくれた。そうして先発完投できるように成長させていただきました」
師弟として苦楽を共にしたエピソードへ続く。
「勝てない時期にこんなこともありました。川崎球場で、4回3分の2という、あと1人で勝利投手の権利となるところで、マウンドにやってきた金田さんが交代しろという。私が、“(続投して)負けたらカネはいらない”と抵抗したら、金田さんは、“勝手にしろ”と投げさせてくれた。それで抑えて勝ち投手になると、金田さんは私を抱きしめながら、“あの後で投げた1球1球、それが一球入魂ということだ。覚えておけ”と。改めて、大切なことを教えてもらいました」
野球界のために尽力した金田氏の功績へと話は移る。