東京外国語大学ロシア語学科を中退した岩松が初めての戯曲『お茶と説教』を書き上げ、34歳で劇作家としてデビューしたのは1986年。劇団「東京乾電池」に参加してはいたものの、「10年近い無自覚な演劇生活を振り返り、一本好き勝手に書いて演劇は辞める」とまで思いつめて書いた作品だった。デビュー作は高い評価を受け、4作目の『蒲団と達磨』で岸田國士戯曲賞を受賞。だが、苦しい壮年期でもあった。
「子どもができた時期とも重なってたし、食わさなきゃいけないという意識も強くて、いろんな意味でイライラしていました。30代、40代の頃は、とにかく舞台を成立させることに腐心していた。劇作家としてちゃんとしなきゃ、いい加減な仕事はできない、と強く思っていたんです」
1990年代以降、作家としての仕事量は増え、岸田今日子、樋口可南子、原田美枝子、小泉今日子、麻生久美子といったヒロインに向けて戯曲を書くことが多くなっていった。
「女優さんには損をさせちゃいけないという思いがあって、いい本を書いてあげるということを自分に課して、追い込んでいくような感じでした。女優さんと向き合って、刺激をもらって書くものに広がりをつけていきたいという気持ちも強かったのかもしれない。自分の中の訓練でもあったなという気がします」