京都で映画の撮影があった時は、どんなに疲れていても最終の新幹線で東京の自宅に帰ってアンナの寝顔を見た。そして、翌朝始発で再び京都の撮影所に向かう。
アンナが学校に持っていく弁当も毎日作った。家でも、毎日手料理を振る舞った。それは、自分が先に死んだとしても、妻や娘の記憶に自分の味を残しておきたかったからだという。
その後もがんとの闘いは続いた。胃がん、十二指腸乳頭部がん、前立腺がん、尿管がん…計6つのがんを患い、つらい手術や闘病の日々を送った。それでも、口をついて出るのは自分のことではなく、家族を思う言葉だった。
「アンナさんが羽賀研二被告(58才)と交際している時に梅宮さんに直撃取材しても、“書いていないこともあるんだろ? 教えてくれよ”と最後はいつも質問攻めでした。それだけ、アンナさんとご家族が心配だったということです」(二田さん)
6度のがんを克服できた原動力は、間違いなく、家族への愛だった。
※女性セブン2020年1月2・9日号