「女系の血が許されていなかったとは言えません。なぜなら、女系天皇を認める文献が残されているからです。古代日本の基本法だった『大宝律令』『養老律令』では、天皇の子供は親王・内親王の地位が与えられるという規律がありました。さらに、女性天皇と男性皇族の間に生まれた子供も同じ地位を与えるよう定められていました。
親王・内親王という位は、天皇の血筋を受け継ぐ者が与えられるもの。男性皇族の血を受け継いだだけならば、子供は『王』『女王』という位になります。このことからも、女性天皇の子供、つまり女系継承も認められていたと理解できます」
皇位継承者不足の要因は、皇室典範の問題でもある。
「明治時代に定められた旧皇室典範は、前近代には女性天皇の前例がいくつもあるのに、文明開化という時代背景もあって、男系男子に限って継承するという、当時のヨーロッパのルールも取り入れられました。近代日本における皇位継承は、実は日本の伝統ではなく、ヨーロッパのマネをした側面もあるのです。現代のヨーロッパでは男系男子に限定している国なんてないのに、日本の皇室典範は古いルールをそのまま踏襲しています。
また、明治の旧皇室典範では、側室との間にできた子の継承を認めていましたが、現在は認めていない。過去の天皇のうち、平均して3代に1人以上の正妻が男子を生んでいません。側室を認めていたからこそ男系継承が維持されてきたのです。側室制度がなくなり、古い制度のままの現代の皇室は、日本史上例を見ない極めて“窮屈な縛り”の中にあるといえるでしょう」(高森さん)
皇位継承者不足の要因について、ギルバートさんも続ける。
「皇室典範の問題に加え、戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって11宮家51人が皇籍離脱を余儀なくされました。この時、男性皇族が大幅に減ったことが、今の女性・女系天皇容認の議論につながっています」
※女性セブン2020年1月16・23日号