これは発言を封じようということではなく「どうせ反発されることを言う判断に疑問」といったところだろう。男性芸能人がこうした発言をすることに対し、「身内からの擁護」的な指摘も出ているのだが、これに既視感があるというのは前出の中川氏だ。
「2015年の東京五輪エンブレム騒動では、当初発表されたエンブレムのデザインが“パクリ”だとベルギーのデザイナーから声があがり、以後エンブレムをデザインしたデザイナーがパクリの常習犯、的な扱いを受けました。その時、名の通ったデザイナーが一斉に彼を擁護しましたが、結局は火に油を注ぐだけでした。ネットでは『セレブの皆様方が我々を見下していらっしゃるのですね?』といった反応が多かった。一部デザイナーは当該デザイナー同様に過去の作品を引っ張り出され、パクリ疑惑をネットで指摘される事態になりました」
結局、擁護をしたデザイナーが軒並み非難の的となり、騒動が収束するばかりか連日の「ガソリン投入」状態になり、炎上が続く一因となった。今回の件についても同様の構図となっているというのだ。
結局“無能な身内”が当事者をより窮地に追い込み、さらには自分自身にも火の粉がふりかかってしまうということだろう。