保育所探しも含めて大変なお母さんが多い
2014年の安倍内閣による「ニッポン一億総活躍プラン」いわゆる「一億総活躍」のときも配偶者控除を縮小または廃止が検討された。忘れている方も多いかもしれないが、安倍晋三内閣総理大臣(当時)は「女性が輝く社会、お年寄りも若者も、障害や難病のある方も、誰もが生きがいを感じられる『一億総活躍社会』を創り上げます」と2017年11月17日の総理大臣所信表明演説で宣言した。退任したいまとなっては、の話だが、配偶者控除見直しもまた教員免許更新制度(これは第一次安倍内閣だが)と同様に置き土産に置いていった。ちなみに同時期に「日本再興戦略2016」と題して「名目GDP600兆円に向けた成長戦略」(いわゆる「アベノミクス」)をぶち上げたが、これまた2020年の内閣総辞職による日本経済再生本部の廃止とともに「いまとなっては」の話になってしまった。
「子どもたちとなるべく一緒にいてあげたいし、それでも私は働きたい。物価も上がっていますし、子どもたちのいま現在はもちろん、将来的な資金も必要です」
政府が「人生の多様化」とするならこうした声も多様な中のひとつ、この母親もまた子どもが小さく、夫も激務でコロナ禍ながら終電近くまで働いていると語る。都心の核家族にはよくある形で、保育園にあずけているとはいえ、それ以外の母子の時間は大事にしたいという。ごく普遍的、かつ素朴な意見だろう。他にも例えばの話として、子どものために専業主婦でいたい、もしくは働きたいけど子どもと一緒にいる時間が欲しいから配偶者控除の適用内、子どもが大きくなったしもっと働きたくなったから配偶者特別控除、もちろん扶養を外れてフルタイムで働く母親もあるだろう。重ねるがその人それぞれの自由である。
また、子どもが障害を抱えていたり、母親自身が働くに難しかったりする場合もあろう。介護が必要な家族がいるから控除内で働く、といった多種多様な家庭の姿はまさしく「家族の姿は変化し、人生は多様化しており、こうした変化・多様化に対応した制度設計や政策が求められている」とした白書の文言そのままのはずだが、なぜか配偶者扶養を筆頭とした「国(一部企業)が負担する話」となると白書に恣意的ともいえる「指摘されている」「考えられる」といったエビデンスの不明瞭な「感想」が並ぶ。
〈税制、社会保障制度、企業の配偶者手当といった制度・慣行が、女性を専業主婦、または妻は働くとしても家計の補助というモデルの枠内にとどめている一因ではないかと考えられる〉(白書・P23)
この一文などまさにそれで、働き方も家庭も様々であることを謳っておきながら、いざ配偶者控除の話となると「控除があるから長く働かない」という話に落とし込む。この一文は余計なことに「企業の配偶者手当といった制度・慣行」という民間企業が社員にあてている家族手当までをも巻き込んでいる。もっと凄いのが「夫の所得階級が高くなるほど妻の有業率が低くなり、特に夫が30~39歳かつ子供のいる世帯でその傾向が顕著である。これは、社会保障制度等の昭和の時代の制度が、高所得者層に恩恵を与えている一例である」(白書・P24)という一文である。