雅子さまも安倍氏も、それぞれ父と同じ職に就いた(時事通信フォト)
現在の自民党内で中心的な存在である安倍派からの強い要望はあったにせよ、議論の時間もなく早々に岸田氏が国葬を決めた背景を、前出の政界関係者が明かす。
「皇后の雅子さまが、安倍元総理の突然の死に大きなショックを受けられ、悼まれるお気持ちがとても強いそうです。遺族の気持ちを案じつつ、しっかりとした形で送りたいと願われているという情報が、政府サイドに伝わったというのです。
明治の時代、国葬はそもそも天皇や皇族を葬送するものであり、天皇の決定でのみ、皇族でない人を国葬とできました。いまは存在しないルールですが、両陛下の追悼のお気持ちは、岸田総理の背中を押した可能性があるのではないでしょうか」
通夜の日、宮内庁次長は定例会見で「天皇皇后両陛下は安倍元総理の突然の訃報に接し、大変残念に思い、心を痛めておられ、ご遺族の皆様の悲しみを案じていらっしゃるのではないかと拝察している」と述べた。
「両陛下が踏み込んだお気持ちを表明する際、直接ではなく、側近がその内心を推察して“代弁”する形を取ることが多い。今回は、雅子さまの強いお気持ちが『拝察』につながったのではないでしょうか」(宮内庁関係者)
知られざる2人の関係
雅子さまと安倍氏。その縁は、「皇太子妃と総理大臣」という公の関係となる、ずっと以前にさかのぼる。
「雅子さまの実父で外交官の小和田恆さんは、福田赳夫氏が外相や首相の時代に、福田氏の秘書官を務めました。福田氏は小和田さんを厚く信頼していて『小和田さんは福田氏の知恵袋』といわれたほどです。その福田氏が率いた福田派の『プリンス』と呼ばれ、後継者だったのが、安倍元総理の父・安倍晋太郎氏でした」(別の政治部記者)
こんなエピソードがある。森喜朗氏が1977年、福田改造内閣で官房副長官に指名されたときのこと。
「当時、小和田さんは福田氏の秘書官で、官房長官の晋太郎氏とは密に仕事をしていた。森氏は、組閣名簿が読み上げられて初めて、自分が副長官に指名されたことを知ったそうです。驚く森氏のところに、小和田さんから『早く官邸に来てください』と電話が入った。慌てて駆けつけると、晋太郎氏が待っていて『遅い!』と一喝。当時の官邸では、小和田さんと晋太郎氏は“名コンビ”といったところでした」(前出・政治部記者)