「離婚後の養育」がテーマだったそうで、まぁ確かに石田サンは適役。そして、これまで、どんなときにも漏れなく“囲み”に応じてくださった石田サンは、この日も当然のこととして囲み取材に応じたのです。
“ワイドショーの帝王”的存在の石田サンが、久しぶりとなる囲み取材の場で、同日、明らかになった元妻・松原さんの訃報について語ることになるとは……なんという巡り合わせなのでしょうか。
石田サンは、松原さんが亡くなられた10月8日当日、すみれサンからの「パパ、ママが亡くなりました」というメールで訃報を知ったとか。「忸怩たる思いです。『ごめんなさい』と『ありがとう』と伝えたいです。考えてもみなかった……自分が先に逝くと思っていた。言葉で言い表せないくらい驚きました」と。
さらに、「お互いに、“ニコイチ”みたいな……」と、一卵性母娘のようだった松原さんとすみれサンを石田サンらしい言葉で表し、自身の不倫が原因で妻と娘がハワイへ移住したことや、当時は英語を話せなかった2人が苦労をしながらも仲よしだったことなどを淡々と話されました。
松原さんのことを“他人の男”が話しているように感じてしまいました。
石田サンの不倫相手の名前を生涯口にしなかった
仕方がありません。現在、石田サンは東尾理子サン(47才)の夫で3児に恵まれています。コロナ禍、石田サンの言動により、「離婚危機」のウワサもありましたが、糟糠の妻・理子サンのおかげで事なきを得ています。この1〜2年ほどは、最初の奥さまとの間に生まれた長男・いしだ壱成サン(47才)が何かと“お騒がせ”な状態であり、石田サンのお気持ちが壱成サンに注がれている状況でもあります。
そんな中、石田サンが自身の“円グラフ”の中で何パーセント、松原さんを思っていらしたかといえば、ゼロに近かったかもしれない。それは、いまとなっては責められないし、そのことは松原さんも理解していらしたと思われます。松原さんには、すみれサンという大切な大切な宝物がいらっしゃいましたから。
とはいえ、過去素材で振り返る松原さんからは、“意地”のような感情も見え隠れしていました。
結婚から9年は一緒に暮らしていたわけですから、夫の“お遊び”や“裏切り”は、100%気づいていらしたでしょう。それでも、リポーターの質問が夫婦仲に及ぶと、自虐を織り交ぜながら、夫婦の日常をいつも笑顔で語っていた松原さん。決して石田サンをおとしめるようなことはなさらなかったのです。
が、すみれサンの有名私立小学校受験前日に石田サンの不倫が発覚し、不合格に。その後、公立の小学校に入学するも、同級生などから「不倫の子」「文化の子」などと嗤われる対象になってしまった娘を守るために、ハワイ移住を決断されました。