志村けんが直々に演技を指導
1988年には『TELL ME MAGIC』で歌手デビューしたしのざきさん(本人提供)
──コント番組を見ていて、しのざきさんが登場したら、「ここがオチだな。笑う場面だな」と一発でわかる。そういう安定感がありますよね。
実は、志村けんさんにも同じことを言われました。初めて志村さんに呼ばれたのは『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)のゴキブリの役だったかな。「あのとき助けていただいたゴキブリです。恩返しにまいりました」っていいながら志村さんの寝ている布団の中に入っていくコントだったんですけど、それでバカウケしたようで、それからいろいろ使っていただきました。リハで本番と同じテンションで3回、「ここでこうやって、ワーッとやるんだ。はい、もう一回!」と、直々に演技の指導をしてくれたこともありましたが、謝られたこともありました。
──大先輩の志村さんにですか?
私、水着になることが多かったんですけど、ビキニは着なかったんです。お笑いって、かわいそうになっちゃったり、気の毒に見られたらダメじゃないですか。パンツが見えても生々しくならないように茶色のタイツを履いていたんです。ところが、志村さんとのコントのオチのときにまさかのビキニが用意されていて、躊躇して悩みましたが着ました。どうしても志村さんはビキニでやりたかったようで、結果的に大ウケしてセットの裏で「ごめんな」「ありがとな」って声を掛けてくださって、よろこんでくださりました。
──大御所芸人の方々に可愛がれたしのざきさんですが、芸能界の先輩にお叱りを受けたことはありますか?
ドラマにも出演させていただいた時があったんですけど、『裸の大将放浪記』(フジテレビ系)に出たとき、北海道ロケで主演の芦屋雁之助さんを囲んで打ち上げをしたんですよ。雁之助さんがスタッフの方とお話しされていて、私、お腹が空き過ぎて雁之助さんに用意されたホタテのお刺身をいっぱいあるからいいかなと思って、目を離した隙にパクっと食べたんです。新鮮で美味しくて我慢できず食べ続けていたら、雁之助さんに「何してんねや!」と。でも、雁之助さんは「いやー、ほんまにお前は」と爆笑してくれましたが、「二度目はないぞ」と釘を刺されました(笑)。
