6月14日、ポートランド空港の周辺ホテルに、スティーブンス医師が約束の15分前に車で到着した。しかし、ジャネットの姿が見当たらなかった。
「彼女に電話をしたのですが、メディア対応に疲れてしまったようだ。申し訳ないが、私だけでお願いできますか」
細長い銀縁眼鏡をかけ、水色のワイシャツを着たスティーブンス医師が言った。今年70歳になる。自信をみなぎらせた大声のアメリカ人とは異なり、とても小さな声で、謙虚だった。私は、スティーブンス医師をホテルの部屋に招き、じっくりと話を訊いた。
あなたの職業を教えてくれますか?
「OHSU(オレゴン健康科学大学)で放射線科医として、1967年から働いています。年間200人の癌患者の治療に当たり、もう50年が経とうとしています。本来なら、数年前に退職しているはずなのですが、人手不足でいまだ非常勤を続けています」
ジャネットさんと出会ったきっかけは何だったのですか?
「ジャネットに肛門癌が発覚した際、私が担当医になったのが始まりです」
それは、2000年夏の出来事だった。彼女は、肛門からの大量出血でOHSUに搬送され、外科医の診察を受けた。初診では、痔と誤診されたが、肛門専門の外科医による精密検査の末、癌を宣告され、放射線と化学療法を勧められた。だが、その当時、生きる気力を失いかけていた彼女は、死を覚悟。治療を拒否し、安楽死の道を選択しようとした。まだ55歳だった彼女は、スティーブンス医師にせがんだ。
「お願いですから、安らかに死ねる薬を下さい……」
ジャネットにとって、毛髪を失うことや痛みとの闘いは、耐え難い苦悩だった。しかし、先述した2つの治療に望みがあることを把握していた彼は、生きる望みを与える側に回った。彼女の家庭事情なども知るにつれ、彼はジャネットにこう言ってみた。
「あなたが治る可能性は十分に考えられます。息子さんは、あなたの病を知らないそうですが、彼が警察学校を卒業する晴れ舞台を見たくはないですか。そして、いつか訪れる結婚式も……」