1977年、沢田研二が『勝手にしやがれ』で大賞を受賞した時の視聴率は50.8%。レコ大の歴代最高記録だ。
「男性が化粧をするなんて…という声も計算ずくで話題を集めました。歌唱力もカッコよさも段違いで、サビの『アア~アアアアア~アア~♪』に合わせて会場中が手を広げ、壮観でした」(芸能リポーターの二田一比古さん)
翌1978年は史上初となる“ジュリーの2連覇”が有力視されていたが、記録的なミリオンヒットを連発したピンク・レディーが『UFO』で大逆転。初めてアイドル歌手が大賞を受賞した。
五木ひろしと八代亜紀の「五八戦争」が話題を呼んだのは1980年。ともに苦労人で、10代の頃から銀座のクラブ歌手として旧知の仲だったが、
「五木は1973年にレコ大を獲っているので、八代が冗談交じりに『1回もらってるんだから今回はいいでしょ』と声をかけたんです。すると、日頃は温厚な五木が『うるさい!』と語気を荒らげた。それでメディアは『五八戦争』と大騒ぎになりました」(芸能レポーターの石川敏男さん)
結果は八代亜紀が『雨の慕情』で五木を抑え、涙のレコ大初受賞となった。その年は松田聖子がデビュー。聖子は『青い珊瑚礁』で新人賞を獲得したが、最優秀新人賞は田原俊彦の『ハッとして!Good』に譲った。
生涯に一度だけの新人賞も、多くのドラマを生んだ。1982年の最優秀新人賞はシブがき隊。「花の82年組」では、松本伊代、早見優、石川秀美、堀ちえみが新人賞を獲得したが、なんと中森明菜と小泉今日子が落選。しかし、明菜は1985年『ミ・アモーレ』、1986年には『DESIRE』でレコード大賞を2連覇。新人賞を逃した鬱憤を晴らしている。
その明菜が、別の意味でレコ大を盛り上げたのが、1987年。
「近藤真彦が『愚か者』で大賞を受賞した瞬間、“キャーッ”と歓声を挙げ、自分が受賞したかのような拍手とともにボロボロと大泣き。当時、ふたりは交際しているといわれていたので、見応えがありました」(前出・二田さん)
※女性セブン2017年1月5・12日号