TBSは、在京の民放局では唯一のテレビとラジオの兼営局。小島一慶や故・林美雄さんのように、社員でありながらパーソナリティーとして若者に人気を博すアナウンサーの大先輩も存在した。
生島も入社間もなく、『生島ヒロシの夜はともだち!!』という人気ラジオ番組のメインパーソナリティーを担当。同番組のヘビーリスナーで、のちに『爆笑問題』となる田中裕二は、当時、アナウンサーを目指していて、TBS954キャスタードライバーの中継を受ける「無線室」のバイトくん候補でもあった。ちなみに、「無線室」のバイトからは、NHKの元エグゼクティブアナウンサー、渡部英美氏、元・日本テレビで現在フリーの小倉淳アナ、テレビ朝日の元アナ、藤井暁氏らが巣立っている。
話を生島ヒロシに戻そう。80年代になってからの生島は、『ザ・ベストテン』『料理天国』『アッコにおまかせ!』など、TBSの人気テレビ番組を次々担当。『日本レコード大賞』の曲紹介をする実況担当アナウンサーとしても名を馳せた。
フリーになってからも、バラエティー番組を中心にテレビで華やかに活躍をしていた生島が『生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線』のパーソナリティーとして古巣に戻って来たのは98年だ。
TBSラジオでは既に件の森本、大沢、毒蝮、荒川による生ワイドが人気を博していたし、週末には永六輔さんや久米宏といった、いわば“ラジオの達人”が揃っていた。
もともと“夜とも”のパーソナリティーだったとはいえ、テレビとラジオは全く異なる媒体。久米宏や安住紳一郎アナのように、どちらでも大成功する者はごくわずかで、大沢悠里やニッポン放送の高島ひでたけのように「ラジオで人気だから」とテレビに引っ張ったら、「いいところが全く出せずにアッという間に番組が終わってしまった」ケースもあった。つまり、ラジオとテレビは別物なのである。
因って、当初はリスナーも生島ヒロシのラジオ生ワイドへの復帰には大きな違和感を抱いていたように思うのだが、回を重ね、生島自身も年齢を重ねるによって、リスナーとの距離はどんどん縮まり、信頼感も劇的にアップ。毎朝、サービス精神溢れる生島のトークに元気をもらい、「そこから一日中、TBSラジオを聴いている」というF3、M3(50才以上の女性と男性)が大多数なのである。
実は、F4、M4という65才以上の女性リスナー、男性リスナーに強さを発揮し、レーティングのトップを走っているのがTBS。66才の生島は、件の人気パーソナリティーらからしてみたら抜群に若いのだが、やっとメインリスナーの年齢に「追いついて来た」ことになる。