一方、眞子さまは幼少期に日舞を、佳子さまはフィギュアスケートを習われていましたが、紀子さまのご意向が強かったと聞きました。日舞は、黒田清子さんと同じ先生に師事されていたそうです。習うからには真剣にというどちらかといえばスパルタ式だったようです」(皇室記者)
教育方法やしつけも対照的に映し出された。2010年3月に愛子さまの“いじめ問題”が明るみに出て以降、雅子さまは1年9か月にもわたる同伴登校に突入される。その後も、中学1年次の不規則登校、中学3年生だった昨年の“激やせ”による長期欠席と、愛子さまの学校生活には暗い影がつきまとい、雅子さまの「教育方針」への疑念の声も持ち上がった。
「秋篠宮家のお子さま方が、理由なく学校を休まれたり問題となったことはありませんでした。秋篠宮さまがおおらかな性格をされている分、紀子さまは“私がしっかりしなければ”というお気持ちを強くもたれていました。お子さま方にも常日頃から、“皇族としての自覚を持って行動するように”と口を酸っぱくして言われていた。言葉遣いや立ち振る舞いはもちろんのこと、学習院初等科時代、眞子さまが花壇の縁のブロックの上を歩こうものならすぐに注意。周囲にどう映るかを常に気にかけられていました」(前出・宮内庁関係者)
別の宮内庁関係者が続ける。
「あるお身内だけの食事会のとき、佳子さまが秋篠宮さまのことを“お父さま”と呼んだことがあったそうです。そうしたら紀子さまが“殿下とおっしゃい!”とぴしゃり。周囲が“身内の席だから”となだめても“けじめですから”と頑とされていたといいます。
ただ、紀子さまの感じられていたプレッシャーも相当なもの。秋篠宮妃としての務めに加え、子育てやしつけに不備があればあらぬ批判を受けかねないわけですから、過剰とも思えるほどになるのも無理からぬ話なのです。紀子さまにとって、皇室に嫁いだ女性としてのロールモデルは美智子さま。つまり、母としての模範もまた美智子さまだったのでしょう」
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年6月15日号