◆「我々韓国人にとっても損」
柳川が火消しに回った事例は、枚挙に暇がない。翌1976年のこと。新日本プロレスの新間は頭を抱えていた。
6月に日本武道館でアントニオ猪木対モハメド・アリによる「格闘技世界一決定戦」が行われるのを前に、アリに支払う巨額のギャラを用立てるのに四苦八苦していたからだ。 たどり着いたのが、大阪の在日で不動産業を営む木本一馬(孫圭鎬、ソンギュホ)だ。
木本といえば、もとは柳川の子分。カネ儲けの才覚に長け、柳川組解散後に不動産会社を設立し、国内外で財をなした。のちに数百億円を投じる派手な仕手戦で世間を騒がし、「北浜の風雲児」と呼ばれるようになる。
新間ら新日本プロレスは、その木本から8000万円を無利子無担保で借りるという約束を取りつけた。かつて新日本プロレスから3000万を借りたことがあり、「あんたたちには世話になったから」と木本は破格の条件に応じたという。
「用意しとくから明日取りに来い」
翌日事務所に向かうと、契約書には、8000万に「9%の利息」をつけて返す、と明記されていた。新間らは約束が違うと反論したが、木本は「それなら借りなきゃいい」の一点張り。
そうは言っても、アリとの試合は目前に近づいていた。