「太平洋戦争の前と後で時代が変わったと僕は考えないんです。全共闘運動が始まった頃から、平成が終わるまでがまたひとつの時代で、さらに新しい時代が来るんじゃないか。
この間、日本人が変わったとは思わないけど、高度経済成長期を支えた健全な中流階級というものがいなくなりましたね。一握りの富裕層と、生活がおぼつかない人たちがいて、そのあいだの層がものすごく薄くなってしまった。
一番、影響を受けるのは文化です。月に2、3回は映画を観よう、本でも読もうという人が減る。経済的な余裕がないと、文化は育ちません。年号が変わったからってただちに世の中が変わるわけではないですけど、どんな時代が来るのかなと思います」
『野の春』の終盤、送られた精神科病院で、付き添っていた房江と伸仁が少し眠った間に熊吾は逝く。遠慮のない母子の会話や、病院患者の描写が秀逸で、厳粛な場面なのになんとも言えないおかしみがある。
「お涙頂戴は好きじゃないので。それに実際、あの通りだったんです。一睡もせずに迎えた朝、ガラス越しに日差しが射してて、ぽかぽか暖かくて気持ちいいから、つい寝てしまった。『何のためにおまえは!』『お母ちゃんかて、寝たらあかんて言うてたやんか』。2人で喧嘩してる場合やないのにね(笑い)」
熊吾の葬儀に参列するのは14人。戦前の隆盛を思えば寂しい数だが、全員が熊吾を慕い、熊吾から与えられたものを受け継ぎ、命をつなぐ人たちである。
『野の春』を読み終えて、「流転の海」ロスになった、という読者がいるそうだ。しかたなく第一部を開いたら、気力あふれる50代の熊吾が大阪駅に降り立ち、闇市を見ているところだった。「命は循環している。『流転の海』の意味がやっとわかった」という手紙が宮本氏に届いたそうだ。