《あの時、タレントのマネジメントで神経を使い過ぎて、体調を崩していた。病院へ行ったら、十二指腸潰瘍の末期だって。三カ月入院している間に移籍しちゃった。いい教訓ではありますよね。
そうか、これだけ手とり足とり一生懸命やっても、結果的には赤の他人だと。あのまま移籍しなかったら、神経が完全にいかれてたと思う。休養をとって、一からやりなおそうって》
1978年には事務所を牽引してきたフォーリーブスが解散した。所属アイドルが伸び悩み、苦肉の策として「VIP」という女性タレントをデビューさせたこともあった。
窮地を救ったのが、近藤真彦(54才)、野村義男(54才)、田原俊彦(58才)の「たのきんトリオ」だ。
1979年にスタートしたドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)の生徒役で3人が大ブレークすると、少年隊や光GENJIが続き、ジャニーズ事務所は1980年代のアイドル全盛期をリードした。
「なかでも光GENJIは『光』と『GENJI』という2つのグループをジャニーさんが合体させて、日本レコード大賞に輝くほどの大ブレークを果たしました。絶妙なバランスでグループを作り上げるセンスはジャニーさんならではでした」(芸能関係者)
1991年、SMAPがデビューした。ジャニーさんが作り上げた「歌って踊れる少年アイドル」に「お笑い」という要素を加えたSMAPは、国民的アイドルへの道を駆け上がった。
以降もTOKIO、KinKi Kids、V6、嵐、タッキー&翼、関ジャニ∞ら、歌って踊れて、バラエティーもできるアイドルが綺羅星のごとく登場し続けた。
※女性セブン2019年7月18日号