年末年始やお盆などには地元の会合をはしごし、酒を注がれれば断われない。
地元の有力者や財界人などの葬儀や法事は、総理の代理が秘書、というわけにはいかず、妻が全国どこでも弔問に駆けつけなければならない。中曽根康弘首相の蔦子夫人について、日経新聞がこう評している。
〈選挙中は全国遊説の首相に代わって選挙区を回り、大きなおなかをかかえて頭を下げ続けたり、他人には涙を見せられないと、押入れに頭を突っ込んで泣いたこともあり、シンは強い〉(1987年5月25日付朝刊)
上京した後援会幹部や番記者の“接待”も総理の妻の重要な役目だ。前述の竹下直子夫人は私邸で首相の帰宅を待つ番記者相手に麻雀を打ったし、池田勇人首相の私邸は毎晩のように記者との“宴会”状態だったことで知られる。
「メディアの評価は政権の行方を左右する。池田首相の満枝夫人は夫の評判を落とさないために、夫を待つ記者たちを手作りの精進揚げやおでんでもてなし、記者が乗ってきたハイヤーの運転手にも菓子の差し入れを欠かさない気配りで知られていました」(小林氏)
一方で“雑巾掛け”のような苦労もある。自民党の派閥政治全盛時代は、派閥毎に「婦人会」があり、会長夫人をトップに序列化され、「若手議員の夫人は先輩議員の奥様から雑用に呼びつけられ、政治家の妻としての立ち居振る舞いを厳しく指導された」(ベテラン議員の夫人)。
旧安倍派婦人会のトップに君臨していたのが安倍首相の母・洋子さんであり、若き昭恵夫人も“下積み”を経験したとされる。