ブリタニーは、自殺しようと思ったことは一度もなかったのですか? 愛妻が、自殺をするような弱い女性と思われることが癪に障ったのか、ダンは、「この点について、はっきりさせたいことがある」と声を強めた。
「おととい施行されたばかりの尊厳死法に関して、反対派は、『自殺幇助』、『安楽死』という用語を好んで使用します。自殺をする人は、死にたい人。ですが、ブリタニーは、生きたかった人です。脳腫瘍は、コントロールできるものではありませんでした。自殺をする人というのは、鬱病であったり、非合理な決定から死を選んでいる。ブリタニーは、そんな人間ではない!」
さらに彼女が選んだ死は、医者から注射された結果、死に至るわけではなく、医者から処方された劇薬を自ら飲むことでなされることを強調した。私は頷いた。しかし、その頷きとは裏腹に、私の考えはこうだった。結果として、ヨーロッパの安楽死や自殺幇助と変わらないのではないか。米誌『ピープル』に掲載されたブリタニーの独占インタビューからは、自殺という言葉に嫌悪感を示している様子が窺える。
「自殺願望や死にたいという細胞は、私の体内にはありません。私は生きたい。この病気の治療法があればいいのですが、ありませんから……」
ダンは、彼女の意思を再び語った。
「彼女の最終ゴールは、常に生きること。ですから、この尊厳死法の内容は、彼女のような人々に、安らかな死を許可することなのです。まったく、医師による自殺幇助ではないのです」
もし、ダンが、私がスイスで取材した自殺幇助のプロセス(*)を目にしたら、何を思うだろうか。
【*注/医師が複数回のカウンセリングによって患者に「死の意思」を問う。現在、罹患している病が不治の病か、または死に値するほどの苦痛を伴うか、などを確認。医師によって「自殺幇助」の必然性が認められれば、患者は誓約書に署名。誰かに死を強要されたわけではなく「自発的に死ぬこと」を宣言する。自殺幇助は、医師が点滴に劇薬を入れ、患者はその点滴のストッパーを自ら開けることでなされる】
私の目の前で息絶えた患者たち誰もが、耐えがたい痛みを取り除くことができ、回復の望みさえあったら「生きたかった」のではないか。オレゴン州に移住し、医師から処方箋をもらって死期を早めることと、どこに差があるのだろうか。
「ブリタニーが処方箋を手にしたのは2014年5月で、実際に服用したのはその年の11月でした。つまり、その間、ありとあらゆる治療法を研究していたのです。オレゴンでは、すでに18年間、法律が施行されていますが、患者の3分の1は処方箋で得た薬を持ったまま死なないというデータもあります」
この主張も、私を納得させなかった。オランダでも毒薬を自宅に置いたまま使用しないというケースがあるし、スイスでは、患者が毒の入った点滴を目の前にして、それを開けるか開けないかは本人の決断に委ねている。もちろん両者に差違はある。「ブリタニーは、最後まで緩和ケアでがんばりたかった」とダンは繰り返し、その過程を重視する。