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2018.11.18 07:00  女性セブン

西城秀樹がスターになるまでの道、そしてとんねるずへの配慮

髪を伸ばしたワイルドな風貌は、当時のアイドルとしては斬新だった

 今年5月に63才という若さで亡くなった西城秀樹さん。それから半年、妻の美紀さん(46)は『蒼い空へ 夫・西城秀樹との18年』(小学館刊)を上梓、「秀樹さんの頑張ってきた日々の記録が、どなたかのお役に立てれば本当にうれしいです」と秀樹の知られざる秘話を明かしている。

 秀樹は戦後10年目にあたる1955年、広島市で生まれた。姉と兄のいる末っ子の秀樹は、タイヤの卸商や雑貨店などいくつもの商売を手がけ、実業家として成功する父と、その仕事の手伝いをいとわなかった母の下で育った。

 音楽好きの父親の影響でバイオリンを習った秀樹は、中学生になると、兄の誘いでバンドに加わり、アメリカの音楽に親しむようになる。高校生になった夏休み、ジャズ喫茶でのアルバイトを始めた。

 そこで、芸能界へとスカウトされる。しかし、両親の大反対を受けた。「音楽は仕事ではなく趣味だ」と怒鳴られ、高校中退ということも認めてくれなかった。

 厳格な父は、芸能界入りはもちろん、上京にも猛反対した。実業家の父からすれば、仕事とはどういうものなのか、誰よりもその厳しさを知っているという思いもあったのかもしれない。

 そのとき、秀樹の味方になったのは、母だった。父親の目を盗みそっと末っ子を東京へと送り出してくれたのだ。

 1971年に上京、所属するプロダクションの社長宅での居候を始め、翌1972年に『恋する季節』でデビューしたのは秀樹が16才の時だった。当時のキャッチフレーズは181cmの長身をアピールするように「ワイルドな17才」。歌声も注目された。

 後に70年代を代表するスターとして、郷ひろみ(63才)、野口五郎(62才)と並んで新御三家と呼ばれる秀樹だが、デビュー当初は苦戦した。

「ほぼ“同期”の3人ですが、甘いマスクでアイドル然とした郷さん、品のあるたたずまいで歌謡界の新星と期待された野口さんと比べ、秀樹さんはキャラクターが定まっていませんでした。そんな中、彼の代名詞である“絶唱系”が浸透していき、1973年に5枚目のシングル『情熱の嵐』で初のオリコンベストテン入りを果たすと、次の『ちぎれた愛』で、初のチャート1位を獲得しました。新御三家で1位を獲ったのは秀樹さんが最初。ここから秀樹さんの人気は新御三家でも突出したものとなっていくのです」(レコード会社関係者)

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