元慰安婦としていち早く補償請求裁判の原告となった金田君子さん(本名非公開・軍隊名)は、戦地で看護師の役目もこなしたと語る。
〈負傷した日本兵は痛みで眠れずに、『姉さん。もう一回(モルヒネを)頼むよ』と懇願した。(中略)日本兵は死ぬときに母や子供の写真を見ながら『母さん、俺は死ぬかも知れないけど、死んだら靖国神社で会いましょう』と言って泣くのよ。私もつられて泣いた〉
後年、金田さんは靖国神社を訪れている。戦没者の墓があると思っていたのだ。
〈(兵隊は)靖国神社の花の下に行くといっていた。(でも)靖国神社には何もない。白い鳩しかいなかった〉
靖国神社を訪れたことで、金田さんは白い鳩に日本兵たちの思い出を投影させるようになったという。
様々な愛憎を赤裸々に語る元慰安婦たち。これは韓国で信じられている元慰安婦を単純に「悲劇の少女」とする物語とは、一線を画すものばかりだ。こうした真実の記録が封印されてしまったことは、ある意味、慰安婦問題の宿痾を象徴しているといえる。
「基金は一人あたり計500万円を元慰安婦に支給する事業を行なったが、すぐに韓国政府が日本の支給を受けさせまいと、同額を慰安婦に支出すると公表するなど混乱が続きました。結局、アジア女性基金は2007年に解散を余儀なくされた」(外信部デスク)
それでもアジア女性基金は“平和活動”として問題解決を目指した結果、元慰安婦61人が償い金を受け取った。映像の中でも、前出のチンさんはこう話している。
〈一人でもお金は必要でしょう。今は私が食べたいものを食べ、いい薬も買って使えるでしょう。(償い金を受け取る)前はご飯もよく食べられなかった〉