皇太子さまは会見で、《伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい》と語られた。すでにその一歩を踏み出されているようだ。
◆「違う?」「違うんです」
式典で陛下は、30年在位の集大成となるメッセージを、約8分半、1280文字に込められた。
平成という時代を、
《日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちました》
《決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました》
と振り返られ、昭和天皇から受け継がれたバトンが、どれだけ重いものであったかを感じさせた。
陛下は何度も会場に視線を向け、時に感情を高ぶらせて、言葉を紡がれた。
《憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く》と、自らの歩みを振り返りつつ、次代の皇室に向け、象徴天皇像の追求を託された。そして、一言ひとことを噛みしめられたのが、国民への感謝だった。
美智子さまはそのお姿を、体を半分、陛下の側に向けながら見守られた。終始緊張の面持ちを崩されなかった。
「美智子さまは日頃から陛下のご体調や体力をつぶさに見守られ、“退位されるその日まで、陛下のお務めを支え続ける”という強い決意を持たれています。
実は、今回の記念式典で陛下がおことばを述べられることを、美智子さまが心配されているという話がありました。4月末の退位の儀式に向け、大きな精神的な負担がのしかかる中で、陛下の体力面を心配されていたのだと思います」(宮内庁関係者)
陛下自身、近年、体力面での不安をお話しされてきた。
《既に80を超え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています》
2016年8月、生前退位の意向を示すビデオメッセージで、陛下はこう心境を吐露された。また、82才の誕生日会見では《年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました》と述べられた。
実際、一部メディアの間で、記念式典では陛下のご発言はないかもしれないという情報が流れたこともあった。しかし、それは杞憂だった。式典のおことばにあたり、壇上後方の河相周夫侍従長が陛下に近づき、3枚の原稿を陛下の御机の上に置いた。
「陛下が立ち上がられた時、手に持たれていたのは2枚の原稿でした。3枚を読まれるはずが、手元の資料と交ざり、最初の2枚だけ手にされたのでしょう」(皇室記者)