今回の事件は、六代目山口組・司忍組長の出身母体で、その中核団体である弘道会組員が銃撃され、山健組の関与が取り沙汰されたという意味で特別である。山口組の分裂抗争は、ようやくクライマックスを迎えたといっていい。実話誌は売り上げ増大のため抗争を煽ってきたが、今回はどれだけ煽っても大げさではない。
今から約4年前、かつて五代目山口組・渡辺芳則組長らを輩出し、「山健組にあらざるは山口組にあらず」とまで評された山健組は、現在の弘道会体制に不満を持った組長たちと手を組み、「山口組を本来の姿に戻す」とぶち上げて、神戸山口組を旗揚げした。弘道会はそれら“謀反人”の征伐を大義にして、残った直参組長にハッパをかけた。
仰々しいスローガンをはぎ取り根底をみれば、分裂劇はとどのつまり、大派閥同士のぶつかり合い……山健組と弘道会の覇権争いに他ならない。両者の衝突は真打ち登場を意味する。地方都市での暴力事件とは根本的に異質だ。
暴力団業界では「魔の8月」と言われ、1997年8月28日、新神戸オリエンタルホテルのティーラウンジで、五代目山口組・宅見勝若頭が射殺された事件を根拠にしている。が、今回、「魔の8月」に起きたこの事件は、報復の連鎖を呼び起こし、山口組を「魔の9月」に追い込む可能性が十分にある。
翌10月に出所予定の高山若頭は、極めてドライで現実的な組織運営をしていた。親分・子分の絆など嘘っぱちで、子分は基本的に面従腹背と定義した。若い衆に金を持たせるとろくなことにならないから、せっせと日用品を売りつけ集金する。若い衆が増えると謀反するので、山健組のような大所帯は分断して切り崩す。
神戸山口組が再分裂し、任侠山口組が誕生したことで、数の上では六代目側が神戸側を圧倒しているが、今回の事件で神戸・大阪に本拠を置く六代目直参組織、中でも親弘道会だった団体を取り巻く空気が変化した。