ネットスラングで、失うものが何もない人間のことを「無敵の人」と呼ぶ。犯罪を起こし逮捕されると、仕事を失い、社会的信用を失い、財産を失い、妻や子供など家族が去る、など失うものが多い。ところが、そのいずれも最初から持っていない人は失うものがないので、無敵の人だというのだ。
無職で、妻も子供もいないから失うものがない自分は何も怖くないとうそぶく串田さんは、本人の言う通り無敵の人であることに開き直っているように見える。そして、彼のような人はそれほど特殊な例ではない。1990年代カルチャーだけで生きてきた団塊ジュニアは、さまざまな場所で、さまざまなジャンルで蠢き、かなりの人数になるはずだ。では、彼らは昔から無敵だったかというと、串田さんは違う。私は知っている。そんな串田さんも、かつてはレイヤーの彼女がいた。もう20年前の話だが――。
串田さんの彼女は、びっくりするほど可愛い子だった。私は心底羨ましかった。蓼食う虫も好き好きというか、誰にでもチャンスはあるのだと思ったものだ。それ以降ずっと、特定の彼女がいたという話はきかないが、彼女と続いていたら、現在の生活や将来への考え方も違っていたのだろうか。もしかしたら、いまも好きなのか。根は繊細で一途なのかもしれない。
串田さんも開き直っているように見えて案外考えていると思いたい。自身の年齢と社会性を自覚せざるを得ない時期が来れば、案外「普通」になるのかもしれない。開き直るアウトローやアングラ系の男性が突然、普通になる例があることも私は経験で知っている。大人になる時期は人にもよるし遅いこともある。もっとも、残された時間は少ないが――。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年9月、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年7月『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。12月『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)を上梓。