3年目オフに2年契約を結んだキーオだったが、4年目の平成2年は序盤から波に乗れず、7勝9敗、防御率5.00と成績が落ち込み、球団は解雇を選択した。
〈キーオとは今年1月に2年契約を結んでおり、残留の場合には来季150万ドル(約2億1000万円)の年俸を払う必要があるが、バイアウト(契約買い上げ)なら50万ドル(約7000万円)を払って解雇することができる〉(平成2年9月25日・日刊スポーツ)
キーオは9月22日のヤクルト戦で勝利投手になると「タイガースが好きだし、来年も投げたい」と話し、大阪空港から日本を離れる際にも“日本球団への売り込みメッセージ”を報道陣に残した。しかし、願いは叶わなかった。1990年代前半、外国人選手の1軍登録は2人まで。現在のように4人まで認められていれば、状況は変わっていただろう。
阪神が18年ぶりに優勝した平成15年、“キーオ以来”の文字がスポーツ紙に踊った。ムーアが外国人投手で2年連続2ケタ勝利、井川慶が15勝(最終的に20勝)を挙げたからだ。阪神時代に美酒は味わえなかったが、のちにチームが優勝したことで、暗黒時代に踏ん張っていたエースにスポットが当たったのだ。
4年間で挙げた45勝のうち、24勝が連敗ストップの試合──。阪神ファンは、低迷期を支えたマット・キーオを決して忘れないだろう。
■文/岡野誠:ライター。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記1979-2018』(青弓社)の巻末資料では田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)を視聴率やテレビ欄の文言などのほか、『ザ・ベストテン』の緻密なデータも掲載。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。