「満さんの相手は、俊藤さんが富司純子の後釜に据えようとした3人の女優のうちの一人。パチンコ屋の娘だった中村英子でした。満さんとの結婚披露宴は、それは盛大でしたで」
山口組で芸能部門を担ってきた大石は、俊藤とも親しく、映画にも貢献した。俊藤浩滋はのちに岡田茂や高倉健と袂を分かち、独立する。そこからの消息はあまり伝えられていないが、独立後は資金繰りに窮していたようだ。そこで頼ったのが、大石だったという。川勝が続けた。
「(俊藤が)亡くなる1年ほど前(2000年頃)だったと思います。俊藤さんは大石さんに1000万円ほど借金したのです。それで亡くなったあと、香典がいっぱい集まったので、遺族が借金を返そうとした。純子さんと腹違いの妹や弟たちの間で、誰が返しに行くか、揉めとった。純子さんは責任感が強いし、大石さんのことも知っているので自分が行こうとしたらしいけど、妹たちが反対してね。妹たちが行ったらしいけど、結局、大石さんはそのカネを受け取ったかどうか、わからへんのです」
斯界の常識からすると、借金の返済は故人への香典として受け取らないものだという。昔のやくざ気質の強い大石は、とりわけ気風よく振舞ったし、全盛期の大石にはそれくらいのゆとりもあった。私自身、大石が行きつけの高級中華料理店で、ボーイに一人5万円ずつチップを渡している姿を見たこともある。大石は知り合いに借金を頼まれると言い値を貸し、さほど取り立てもしなかったという。
大石は2004年5月、田岡満の還暦祝いも取り仕切った。司会はアナウンサーの徳光和夫、八代亜紀や細川たかし、林与一や松方弘樹、アントニオ猪木や平尾昌晃、安岡力也、内田裕也など、およそ500人の席次表には錚々たる氏名が並んだ。おまけにそこには山口組舎弟頭補佐だった大石をはじめ、大阪・盛力会会長の盛力健児、一心会会長の川崎昌彦といった直参組長も加わっていたので、大阪府警が張り込んだ。
「田岡満の還暦祝いは折しも、山口組が五代目から六代目体制に移行する過程でしたから、余計に警戒しました。若頭(ナンバーツー)の宅見勝の射殺事件が起きて以降、組織の混乱が続いていた。六代目体制になる前に五代目の重鎮たちが集まったという感じでしたね」(前出の元大阪府警刑事)