「交通規制や警備などが必要になり、気軽に行き来することはできませんし、一般のかたの目にもついてしまいます。また、夜遅い時間に複数の皇族方が旧高松宮邸に入っていかれるのを目撃されたら、“何かご体調に問題でもあるのではないか”という噂を呼んでしまうといったことも予期されます」(別の皇室記者)
それでも、旧高松宮邸が有力視される理由の1つには、美智子さまが残された時間でめくられる「思い出のページ」があるのかもしれない。
旧高松宮邸から、東五反田の美智子さまのご実家があった場所までは、歩いて20分ほどの距離にある。
「終戦の翌年、小学6年生だった美智子さまが、疎開先の館林(群馬県)からご家族で戻られたのがその場所でした。現在、ご実家は公園に姿を変えていますが、『ねむの木の庭』という園名は美智子さまが高校時代に作られた詩からとられたもので、『プリンセス・ミチコ』のバラや美智子さまゆかりの植物が訪れた人を迎えます」(前出・別の皇室記者)
さらに、美智子さまが学ばれた聖心女子学院中等科・高等科までも、歩いて15分ほど。美智子さまにとっては、青春時代を過ごされた場所でもあるのだ。
「学生のころよく通った神田や神保町の古本屋さんに行き、もう一度長い時間をかけて本の立ち読みをしてみたいと思います」
美智子さまはかつて、「身分を隠して一日を過ごすことができるとしたら?」という質問にそうお答えになった。今ではすっかり様変わりしてしまっているかもしれない。だが、どこかに小さく残された懐かしさを探しながら、陛下とお歩きになりたいお気持ちもおありになるかもしれない。
仮住まいを終えて戻られることになる東宮御所にも、思い出のページは続いている。
「それまでの乳母制度を廃止されご自身の手で3人のお子さま方を育てられ、自分でお料理をするための小さなキッチンもしつらえました。美智子さまの“母としてのすべて”が詰まっているのが、東宮御所です」(前出・別の皇室記者)
旧高松宮邸、そして東宮御所という『終の住処』で、静かに人生の思い出のページをめくられる。
撮影/雑誌協会代表取材
※女性セブン2017年11月30日・12月7日号