2015年の1年間の地方公務は、皇太子家の11回に対し、秋篠宮家は30回。東日本大震災の発生から4年間での被災地訪問は、皇太子ご夫妻は11回、秋篠宮ご夫妻は18回だった。別の皇室記者はこんな象徴的な場面を挙げる。
「仮設住宅で暮らす被災者との懇談の際、被災者が座る椅子をパッと出されたのは紀子さまご自身でした。お付きの職員らがそれを眺めていただけなのを覚えています」
近年、職員の配属はまず両陛下(今の上皇皇后両陛下)を担当する侍従職へ、その次は東宮職へと流れ、その次に秋篠宮家の順だった。公務で多忙でも、信頼して任せられる職員となかなか出会えず、紀子さまが細腕でやりくりされてきた様子が目に浮かぶ。ご夫妻が独自で工夫され、苦境を乗り越えられてきた中で、秋篠宮家流の路線が形成されてきたのではないだろうか。
佳子さまは3月、大学卒業にあたっての文書で眞子さまの結婚について「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい」と触れられ、その賛否が話題になった。『週刊新潮』5月2・9日号によると、宮内庁職員は事前に当該箇所の修正をお願いしたが、佳子さまは拒まれたという。
一面から見れば、「佳子さまは皇族という公的な立場をどう考えるのか」との指摘もあるだろうが、秋篠宮家が、今まで頼りたくても頼れなかった宮内庁への不信という文脈で見れば、無理もないことなのかもしれない。
令和皇室の中核を担われる皇嗣家は、多難の中で船出された。
※女性セブン2019年5月30日号