〈悪ガキトリオ 田原俊彦・野村義男・近藤真彦 が素顔でワイワイしゃべった3時間〉(週刊明星・1980年6月22日号)
〈“タノキン・トリオ”上位独占〉(スポーツニッポン・1980年7月20日付 *マルベル堂のプロマイドランキングについて)
〈娘たちのニューアイドル「たのきんトリオ」という悪ガキのモテ方〉(週刊現代・1980年7月31日号)
〈この夏いちのフィーバー“たのきん族” ヤング・ギャルを熱狂させる「悪ガキトリオ」って何?〉(週刊ポスト・1980年8月15日号)
〈“たのきん”トリオ この人気の秘密 躍り出た“新々ご三家”〉(週刊読売・1980年9月28日号)
発表当初は“悪ガキ”もあったが、徐々に“たのきん”も浸透。夏頃には、どちらも使用されるケースが目立っている。たとえば、1980年8月17日号の『週刊明星』はページによって、表記が分かれている。巻頭グラビアの写真や本文には“悪ガキトリオ”と記述されているが、活版の記事では〈たのきん台風直撃の夜!汗と涙とケガと…〉と見出しが打たれ、本文でも“たのきんトリオ”と書かれている。グラビアページと活版ページの担当編集者で認識が異なったと考えられる。
10月2日、TBSで『たのきん全力投球』というレギュラー番組が始まる。これ以降、完全に“たのきん”が定着。ファンを意味した“族”ではなく、3人組を現す“トリオ”に変形して浸透していった。
田原俊彦、近藤真彦、野村義男は『スニーカーぶる~す』『ブルージーンズメモリー』などの映画、『たのきん全力投球』『笑ってポン!』などのテレビ番組で一緒に活動していた。しかし、3人揃った歌は、田原俊彦のデビュー曲B面の『君に贈る言葉(アフター・スクール)』、映画『グッドラックLOVE』の挿入歌『ときめきはテレパシー』の2曲だけ。シングルを出したことは1度もない。