青春歌謡がメインだった森昌子は、アイドルらしい明るい曲調の歌が多かった桜田淳子や、10代にして阿木耀子・宇崎竜童の曲を歌い上げた山口百恵に比べると、大ヒット曲が少なくなっていった。
だが、歌の巧さでは、若手ナンバーワンの存在だったので、美空ひばりさんを始めとする大御所歌手にかわいがられたり、ものまねの巧さを買われ、「象印賞」でおなじみの『象印スターものまね大合戦』(テレビ朝日系)に、「毎週のように出ていた」という印象が強い。
ものまねは完璧な出来で、先輩演歌歌手の大ヒット曲からアグネスチャンの『ひなげしの花』まで器用に真似た森昌子。いつしか彼女には「器用貧乏」という、あまり嬉しくない評価がつきまとうこととなる。
それでも大好きな歌を抜群の歌唱力で歌い続け、20代になって『哀しみ本線日本海』(81年)、『越冬つばめ』(83年)と代表曲となる大ヒットを連発。大人びた歌を自然に歌える年齢になった3年後、芸能界を引退してしまう。
10代の頃、同年代の男性たちは、「淳子派」「百恵派」に分かれていて、件の新御三家は、西城が百恵、郷が桜田と組むのが大半で、森昌子と組む野口は、どこか“オチ”のような扱いにされていたこともあった。
だが、森昌子は大人の男性にモテていた…という印象が私にはある。ユーモアに溢れ、ちょこまかとよく動き、“女を使う”というのではなく、キャッキャキャッキャ言いながら先輩の懐に入るのが得意な少女が森昌子だった。特に五木ひろしは、そんな森昌子がかわいくてかわいくてしかたがない…というように見えた。
が、結婚したのは、そんな五木のライバルとも言うべき森進一で、『NHK紅白歌合戦』のトリをつとめ、歌いあげた森昌子が、突然、森進一の胸に飛び込んだことがあった。初めて、「女・森昌子」を目の当たりにした視聴者は、彼女の成長を胸に刻んだに違いない。
そんな森昌子は、6月29日から8月18日まで、東京、兵庫、名古屋で上演される舞台『音楽喜劇 のど自慢〜上を向いて歩こう〜』で座長をつとめる。