「既に亡くなっている人も多く、真相というのは、誰にも分からない。私にも、そして桑田にも。とにかくあのドラフトはPLにかかわるすべての人間にとって不幸な出来事だった」
5季連続で甲子園に出場し、20勝を挙げた桑田と、春夏通算13本塁打を放った清原。桑田はドラフトを前に早稲田大への進学を表明し、清原はファンであった巨人への入団希望を公言してやまなかった。
しかし、ふたを開けてみれば、巨人が桑田を単独指名。清原は6球団の競合となり、西武が交渉権を獲得した。清原に同情の声が寄せられ、巨人と密約があったのではないかと、桑田には非難の目が向けられた。そして、この事件の黒幕と噂されたのが井元だ。しかし井元はKKの進路にはまるで関与していなかった。
「桑田を早稲田の練習に連れて行ったことはありましたが……。だからドラフト会議の日も、僕は自宅で寝ておった。そこに飛び込んできたのが桑田だった。『先生、僕は巨人とできてなんていません』と。しばらくして、清原の母親が我が家を訪れ、『どうしてこんなことになるんですか』と……。家内は泣いてしまってね。うちの息子が同級生でしたから、親同士、仲が良かったんですよ」
もし巨人が桑田を指名していなければ、KKは揃って西武に入団したのではないか──改めて振り返っても、そんな思いが巡る。
西武では当時、管理部長として“球界の寝業師”と呼ばれた根本陸夫が辣腕を振るっていた。根本に可愛がられていた井元は、中学生でも有望な選手を見つけたら囲い込むような強引な手腕に驚かされながら、そのスカウト術に多くを学んだ。
「西武は情報を絶対に漏らさず、独自のドラフト路線を貫いていた。これはあくまで私の憶測ですが、根本さんはKKの二本釣りを狙っていたのではないでしょうか。早稲田進学が有力視されていた桑田よりも、清原の方が競合になる可能性があった。だからまず、清原を獲りに行った。もし西武が両取りに成功していたら、誰も傷つかなかったという思いは抱えています」