そこから、世間の風向きが変わり始める。
「療養が長引いて公務に出られないことに加えて、いじめ問題を抱えていた愛子さまに“同伴登校”されるなどで雅子さまに逆風が吹く中、美智子さまを見習われて、ほぼ休むことなく公務をこなされる紀子さまへの世間の評価が高まりました。適応障害の雅子さまに対して、結婚前から皇室に慣れ親しんだ紀子さまは『過剰適応』ともいわれていましたが、両陛下もその姿勢を信頼されていました」(宮内庁関係者)
吹いてきた風は秋篠宮家にとっても追い風となった。
「皇族伝統の学習院ではなく、ICUで学んだ眞子さまと佳子さまの自由でのびやかな姿は、多くの人に感銘を与えました。また悠仁さまの健やかなご成長は国民にとって大きな希望となり、『皇太子さまは秋篠宮さまに皇位継承権を譲ってはいかがか』という意見まで聞かれるようになりました。自由で大らかな秋篠宮家が多くの人にとって“理想の家庭像”に感じられたのです」(前出・宮内庁関係者)
◆重い使命と限られたお金で家計をやりくり
一方で、秋篠宮家は厳しい現実に直面していた。待遇面の問題だ。悠仁さまが誕生された2006年、皇室にかかる費用のうち、当時の天皇皇后両陛下、皇太子ご一家の5人には「内廷費」として年間3億2400万円が支給されていたが、秋篠宮家の5人には年間5490万円の「皇族費」が支給されるのみだった(皇嗣家になられた今年度は約1億2300万円が支給)。
職員数も皇嗣家になるに伴って51人に増えたが、それまでは24人しかおらず、皇族費から私的に職員を雇っていた。皇室ジャーナリストの神田秀一さんが指摘する。
「今後も秋篠宮家は、皇族費のみで生活をやりくりする必要があります。御代がわりで増額されましたが、増え続ける公務と悠仁さまを大切に育てるという使命の中、限られたお金で家計をやりくりされる困難は変わりません。
本来は宮内庁がサポートすべきですが、双方の意思疎通ができていない状況です。昨年11月の誕生日会見で秋篠宮さまが、『新天皇の即位儀式への公費支出について意見したのに、宮内庁長官が聞く耳を持たない』と厳しい言葉を投げつけられたのは、宮内庁への不満の表れでしょう」
※女性セブン2019年7月11日号