そもそもアイドルであるSMAPのメンバーが『いいとも』のレギュラーに抜擢されたのは異例のことだ。SMAPが結成されたのが1988年。中居が15歳の時だった。当時は光GENJIが人気絶頂だったが、翌年には『ザ・ベストテン』も終了するなど、徐々に「アイドル冬の時代」に突入していく頃と重なっていた。1991年にCDデビューしたが、歴代のジャニーズアイドルと比べると売上は苦戦を強いられていた。売りだそうにも歌番組は軒並み終了し、歌いたくても歌う場所がなかったのだ。
そこでSMAPが活路を見出そうとしたのがバラエティ番組への進出である。もちろんそれまでもアイドルがバラエティ番組に出ることはあった。けれど、それはあくまでも「余技」の範疇だった。「可愛いのに」「カッコいいのに」三枚目を演じて笑わせる意外性が好感度や親しみを生み、その人気を高めることに貢献していた。
だが、テレビ東京の『愛ラブSMAP!』やフジテレビの『夢がMORIMORI』などのバラエティに出演するSMAPの振る舞いはそれとは明らかに次元の違うものだった。彼らはアイドル冬の時代を生き抜くためにハングリーになりながら、スタッフや共演者にお笑いのノウハウを徹底的に叩き込まれた。苦肉の策で始めた挑戦の結果、史上初めて「お笑い」という武器を獲得したアイドルへと成長していったのだ。
時を同じくして1994年にリリースした「Hey Heyおおきに毎度あり」で初めてオリコンチャート1位を獲得。またドラマでは木村拓哉や稲垣吾郎が大きな役を掴んで人気を獲得し、いよいよSMAPが飛躍しようとしていた。
中居らが『いいとも』レギュラーに抜擢されたのはそんな時期だった。けれど、意気揚々と挑んだ『いいとも』で何も出来ず深い挫折感を味わったのだ。
※週刊ポスト2014年5月25日号