「偶然が重なっているだけかもしれないですが、それだけでは片付けられない。駒田徳広が1992年に6000号を放った時、誰も2年後に横浜へFA移籍するなんて思ってなかった。当時はまだFAすら導入されていない時代ですからね。
1999年のルーキーイヤーに二岡智宏が7000号を打っていますが、9年後にまさか山本モナとの五反田ラブホテル騒動を起こし、翌年に日本ハムへトレードされるなんて、誰も想像できません。逆指名ドラフトで入ってきたわけで、引退するまで巨人だと思われていましたから。そう考えると、節目の本塁打は“移籍の前触れ”なのかもしれません」
王貞治が2度記録しているため、節目の一発を放っている選手は19名。5500号の呂明賜は1991年限りで母国・台湾に戻り、6500号の松井秀喜は2003年にヤンキース入団。考えてみれば、王も巨人の監督を事実上解任され、その後、根本陸夫に口説かれて福岡ダイエーへ。7500号の高橋由伸は現役続行のつもりが、急遽監督に指名された経緯もある。はたして、1万号が中井大介に与える影響やいかに。