「美智子さまは、右隣に着席された雅子さまと笑顔で談笑されていました。一方、秋篠宮さまを挟んで左側に座られた紀子さまは、美智子さまの問いかけにうまく反応できていないというか、視線を逸らされようとしていたように見えたのです」(別の皇室記者)
◆結婚は家と家のことですから
美智子さまのご心痛は察して余りある。だが、その懊悩とともに美智子さまの胸中に渦巻くのは「なぜ、このような状況になってしまったのか」というお気持ちだという。
「秋篠宮ご夫妻は、お子さまがたの自由な意思決定に委ねられる教育方針を徹底されてきました。『皇族は学習院で学ぶ』という慣例を破って、眞子さまと佳子さまは国際基督教大学(ICU)へ進学され、悠仁さまは幼稚園からお茶の水女子大学附属を選ばれた。眞子さまのお相手選びも、秋篠宮ご夫妻は“眞子がその人がいいと言っているのならば”と本人の選択を最大限尊重されてきました。
一方で、皇族の結婚となると単純な話ではなかった。多くの日本人がそう考えるように、美智子さまも以前から、“結婚は家と家のこと”とお考えになられてきたといいます」(前出・宮内庁関係者)
美智子さまは、民間出身初の皇太子妃として皇室に嫁がれた。
「それまでは、旧華族などからお妃候補が選ばれてきました。確かに、美智子さまはそうではありません。ですが、『一般家庭』かといわれればそうともいえません。美智子さまの祖父・正田貞一郎さんは日清製粉の創業者で、父・英三郎さんも社長や会長を歴任。一方、母・冨美さんは佐賀県の武士の家柄に生まれています。兄と弟は東大法学部を卒業し、妹は美智子さまと同じ聖心女子大を卒業。毎夏、軽井沢の別荘でテニスを楽しむご家庭でした」(皇室ジャーナリスト)
そんな「良家のお嬢さま」だった美智子さまにも、結婚後の皇室の逆風は強かった。
「美智子さまへのいじめは凄まじいものでした。お召し物や持ち物への批判にはじまり、話し方や言葉尻まであげつらう。国民の気持ちを慮って、車の窓から生まれたばかりの浩宮さま(皇太子さま)の姿を報道陣に見せれば、“赤ん坊をストロボに晒すとは”と。
そんな実体験から、“皇族の結婚は、本人の意志だけでは成り立たない”という考えが、美智子さまのお心のうちに強く染みついたのも自然なことです。美智子さまほどの“由緒正しいお家柄”のかたでさえ、大変な苦労をされたわけですから」(前出・皇室ジャーナリスト)
※女性セブン2018年5月3日号