皇后としての母の苦しみ
愛子さまが物心つかれたときにはすでに、雅子さまは適応障害を患われていた。放送作家のつげのり子さんが分析する。
「雅子さまは適応障害に苦しまれながらも、愛子さまのことを全力でお守りされてきました。公務がままならないなかで自分を支えてくれた雅子さまに対し、今度は自分が雅子さまを支えたいと愛子さまが希望されるのは自然なことです。日赤の名誉総裁は、皇后にとって最も大事な任務であるといっても過言ではありません。愛子さまは、日赤関連の仕事と公務と両面から雅子さまのお力になりたいと願われたのかもしれません」
愛子さまと同じく天皇家の娘である黒田清子さん(紀宮さま)もまた、大学卒業後に就職し、仕事と公務を両立させるという形で、長年、美智子さまを支えてこられた。
「民間から初の皇太子妃となられた美智子さまは、時に孤立されることもあったといいます。皇室という特殊な環境のなかで、精神的に娘の清子さんの存在に支えられていた部分は大きかったでしょう。皇后としての母の苦しみを、清子さんも、愛子さまも誰より近くで見ていますから、娘の自分がお支えしたいという思いが芽生えるのかもしれません」(前出・宮内庁関係者)
それにしても、愛子さまの眼前には、大好きな日本の古典文学の研究に打ち込む道や、海外留学の選択肢もあったはずだ。幅広い可能性のなかで、「就職」という決断の背中を押されたのは、ほかならぬ雅子さまだったという。雅子さまと陛下は、愛子さまの就職内定にあたり、以下のようなコメントを出された。
「愛子が日本赤十字社の嘱託職員として受け入れていただくことになったことをありがたく思います。この春から日赤の一員として仕事に従事することにより、多くの人のお役に立てるよう努力を続けるとともに、社会人の1人として成長していってくれることを願っています」
「社会人の1人として成長」という言葉は、まさに雅子さまにしか伝えられないエールである。