拙著『田原俊彦論』で、私は2つの番組を取り仕切った渡邉光男プロデューサーに事務所からの圧力の有無を聞いた。すると、こんな答えが返ってきた。
〈僕は、あからさまに言われたことはないですね。別にメリーさんもジャニーさんも、僕に何か言ったことはないですよ。『トシが出るなら、ウチのコを出さないよ』なんて言われたことない〉
独立後に唯一、ジャニーズアイドルと共演させた制作サイドに、事務所からの圧力はなかったわけだ。当時はまだ共演NG説など取り上げられていなかったが、2019年7月18日の『スッキリ』(日本テレビ系)で加藤浩次が話したような“大手事務所から独立すると、数年干される”は業界内で周知の事実とされていたはずで、渡邉氏の気概を感じる。
◆考えられる2つの理由
一方で、人の言葉を受け止める場合は、背景も知っておかなければならない。渡邉氏は1968年11月の『夜のヒットスタジオ』開始時から同番組に関わっている。当時のジャニーズ事務所は初代グループのジャニーズが1967年に解散し、2代目グループのフォーリーブスがその翌年デビューしたばかり。決して大手事務所とは呼べず、1970年代後半にはスターを生めず、苦境に陥っていた。
その当時から付き合いのある制作スタッフに対して、事務所が何かを言うことは考えづらい。『夜ヒット』は高視聴率番組であり、出演した翌日にはレコードが大量に売れるという現象があった。1980年デビューの田原俊彦、近藤真彦、それ以降のシブがき隊やTHE GOOD Bye、少年隊などのブレイクに大きく貢献していた。
逆にいえば、ジャニーズ事務所が超大手事務所となった1990年代後半以降に入社した局員は、渡邉氏のような関係性を築きづらいだろう。
独立直後1994年、1995年の田原の活動歴を見ると、意外にもテレビ出演しているという印象を受けるかもしれない。だからといって、忖度がなかったとは言い難い。
事実のみを列記してみよう。1993年まで新曲発売時期に『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)に必ず出演していたが、1994年以降は一度も登場していない。